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美しき街並みの古都 中国四川省「阆中古城」

2千3百年の歴史を持つという四川省南充市の阆中古城(ろうちゅうこじょう)は、四川省の北東部にあり、美しき流れの嘉陵江の中流地域にあります。ほぼ完ぺきに古城としての姿を残しており、雲南麗江、山西の平遥、徽州の歙県と合わせ、中国四大古鎮と言われるこの場所は、中国全土から観光客が集まって来ます。
古城の中央にある「中天楼」
まず最初にご紹介するのは「中天楼」です。ここは古城の中心地に位置しています。当初は唐の時代に建築されました。しかしその後、一度撤去された経緯がありますが、やはり古城の様子を伝えるためにと、2006年に再建されました。
中天楼は上に上がることが出来ます。街を一望すると、多くの美しい瓦屋根が見え、古都の趣を感じることでしょう。
科挙試験が行われていた「貢院」
次にご紹介するのは日本でも有名な「科挙試験」が行われていた「貢院」です。四川省の秀才が集まり、過酷な試験を受けたのです。試験を受けるのは、必ずしも学習環境に恵まれた裕福な人たちとは限りませんでした。貧しい人たちの中からも一族の期待を担い、多くの人が試験に挑んでいたのです。
ここでは三日間、不休で試験が行われ、食事も各自が持参しその場で自炊し続けられました。隣とは壁で仕切られた畳半分程の場所で、睡眠もトイレも同じ場所です。その間は、監視官が交代で常駐していたのです。こちらでは人形を使ってその様子が再現されており、見学するといかに苛酷であったかが伝わってくるでしょう。
中国の科挙試験の場所でもっとも美しい状態で残されているとされ、2013年に全国重点文物保護単位に指定されています。
「風水博物館」で風水の原型を見る
三番目にご紹介するのは「風水博物館」です。阆中古城は、風水により造られた街とも言われます。その地形が風水の理論に適っているのです。
日本でも多くの人が取り入れている風水は、その原型が中国にあります。ここではその理論から応用までが幅広く説明されており、長い歴史の中で活用されてきた様子が全て分かるようになっています。
「华光楼」の美しさ
四番目にご紹介するのは黒い「华光楼」です。最初に建築されたのが唐代とされています。その後何度も火災等の被害を受けました。現在の楼は清同治6年(1867年)に再建されたものです。中天楼とは異なった美しさです。高さは25.5mあり、濃い緑色の三層の屋根は重厚な印象を与えます。
こちらも「中天楼」同様、楼の上に上がることが出来ます。そこから眺める嘉陵江の流れに、中国の悠久の歴史が感じられるかも知れません。
また、嘉陵江を眺める窓に丸窓もあります。日本では和の美しさの一つとされていますが、その原型がこちらにあることも分かるでしょう。
「华光楼」は、「阆中苑第一楼」と言われるほど、重要視されています。
船で渡る対岸の「南津関古鎮」
最後にご紹介するのは船で行く「南津関古鎮」です。华光楼の近くに港があり、嘉陵江を渡ってすぐ対岸にある南津関まで行きます。片道5分程度です。国家級旅遊景区5Aと最高ランクに指定されている地域となり、美しき街並みが広がっています。
こちら側から阆中古城を眺めると、华光楼をシンボルとして広がる様子が分かります。ここに2300年の歴史がここにあるのです。
長い歴史を有する阆中古城は、唐代から清代までの特徴を残しています。その様子から時代劇の撮影に使われることが多くあります。
他にも見どころが多く、三国志蜀の劉備玄徳と義兄弟であった英雄・張飛が葬られた張飛の墓「漢桓候祠」や孔子廟等もありますので、たっぷりと時間を取っておくことをお勧めします。
また、こちらでは様々な物がお土産品として売られ、あちらこちらに食堂があります。時にお菓子を食べながら散策するのも、面白い時間となるでしょう。
これを機会に、四川省の美しき「阆中古城」を訪ねてみてはいかがでしょうか。
「漢桓候祠」とは
祠の正面には漢桓候祠と書かれています。これは張飛の諡が「桓候」であるためです。ここの別称は「張飛廟」です。正式に祠となったのは唐の時代ですが、張飛の死後、すぐに胴体が葬られ、没した頃より墓として扱われてきたのです。
何度もの整備を繰り返し、現在の形に落ち着いたのは明から清の時代にかけてであり、広い敷地は5000平方メートルにもなります。
三国志の蜀の英雄の一人である張飛(生年不詳- 章武元年(221年))は、劉備玄徳(延熹4年(161年)- 章武3年(223年))と、関羽(生年不詳-建安24年(220年))と共に、桃園の誓いで義兄弟となった話から三国志演義は始まります。
後に諸葛亮孔明(光和4年(181年)-建興12年(234年))が加わることで力は増していきます。諸葛亮が献策した「天下三分の計」は有名な話です。現在の四川省を中心とする劉備玄徳の「蜀」は、大国の「魏」と「呉」の二つと戦い、時に同盟関係となりながら、勢力を拡大していきました。
見事な「大殿」
門を入ると正面に大殿があります。最初の大殿は蜀の時代に建てられたとされます。途中の経緯は不明ですがその後、清道光22年(1840年)に再建されています。
大殿には張飛の彫刻があり皇帝の服装をしており、これは阆中の人たちが、張飛を皇帝のように扱ったことを意味します。しかしながらまったく同じにすることは出来ないので、臣下の証として玉圭を手に持たせたのです。玉圭とは皇帝が臣下に与えるものです。その後、張飛はこの地で、神として崇められていきました。
張飛がここまで高い格で扱われるのは、この場所のみです。見事な張飛像を見逃さないようにしましょう。
円形の「張飛墓」
大殿の脇から奥に進むと、「張飛墓」があり、周囲を1周歩けるようになっています。付近には細い竹が生い茂り、勇猛なイメージの張飛から連想しにくい繊細な感じを受けることでしょう。
張飛は阆中を任せられ、部下の范強、張達に殺されるまでの7年間(214年-221年)、ここで指揮を執っています。勇猛な張飛の指揮が必要だった程、ここは軍事的に重要な場所だったのです。
張飛は大酒のみで、かつ勇猛さのみが強調されますが、しかしながら政治家としての能力もあったからこそ、この地を任されます。また、張飛の筆跡とされる石碑が見つかっており、書でも優秀であったと指摘されています。
墓の正面にある「墓亭」
墓亭の上の大きな額には「雲奥無邊」と書かれています。広がる大空と無限の大地、そのような意味合いです。ここに剣を持った張飛の像がありますが、この辺りは休憩場所のようになっています。
ちょうど墓の正面となりますので足を止め、額に込められた思いを考えながら、張飛を感じてみてはいかがでしょうか。
その後、劉備玄徳が白帝城で病没し、息子の劉禅が後を継ぎますが、蜀の要であった諸葛亮五丈原の戦いで病の末、陣没。残された人たちは何とか蜀を盛り返そうとするも、魏によって蜀は滅ぼされるのです。
四川省の阆中古城は、2013年9月の中国政府が認定する家級旅遊景区5Aと最高ランクとなっています。「漢桓候祠」だけではなく、他にもたくさんの見どころがありますので、ぜひ、足を運んでみて下さい。
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